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苦節10年のサクセスストーリー   蔡淳佳物語[1]へ 蔡淳佳全記事へ


北京語圏での大ブレイク

JOI-072006年、シンガポールでの2000人オーディションから10年目のこの年がジョイの運命の年になります。
まずこの年の初めに、シンガポールで「最も優れた青年賞」という賞を受賞します。
一方台湾では、韓国ドラマのヒットもあって、その主題歌をカバーしたジョイは徐々に名前が知られるようになり、台湾のテレビにも出演します。
更にジョイの会社 Music Street Records はシンガポールと大陸での販売力しかなかったのですが、ワーナーミュージック台湾 (華納唱片) に買収され、そのままジョイは期せずしてメジャーレーベルの一員となります。
運命の女神は微笑み続けます。
等一個晴天019月、シンガポールでそのワーナーから新曲4曲を含む24曲入り2枚組ベストアルバム「等一個晴天」が出ることになります。表題曲である新曲「等一個晴天」は一青窈の「かざぐるま」のカバーです。過去3枚のアルバムを濃縮した内容に強力な新曲と韓国ドラマのカバー2曲も入っていて、まずこれがシンガポールでは当然のように大ヒットします。
そして11月に台湾でこれをCD1枚17曲に絞った「淳佳精選17首」が発売されます。これが台湾で大当たりするのです。
どうして17曲に絞ったかというと、台湾で知名度の低い歌手のCDがいきなり2枚組では、値段も高くなる上にみんな引いてしまうからです。それでCD1枚の限界まで絞って17曲になったのです。このアルバムの総時間は72分です。CD1枚に入るのは74分ですから、もう1曲も入りません。
この台湾での発売はすでにシンガーポールでの発売前から企画されていて、「陪我看日出」を含む5曲のMVが売れっ子監督黄中平 (ホァン・チュンピン) によって台湾で事前に撮影されていました。ドラマのカバーで注目されていたからということもあるのでしょうが、これはワーナーの「絶対に台湾でヒットするはずだ。1曲でも多く聞いてもらいたい」という大いなる仕掛けと言うかプロデューサーの「思い」が見えます。それだけジョイの歌がすばらしかったということでしょう。
このベストアルバムで最も話題になったのは、やはりあの「涙そうそう」のカバー「陪我看日出 (私と日の出を見に行こう)」です。シンガーポールでの発表から2年目にして台湾でも知られるようになったのです。
この当時の台湾の様々な記録を見ると、CDレビューやジョイのテレビ出演映像には「6年ぶり」という言葉がいたるところに出てきます (画像) 。台湾からするとシンガポールでのジョイの活動期間は空白に見えたわけです。しかし「6年ぶり」ということは2000年の1stアルバムの印象が台湾の人たちに残っていたのでしょう。「あっ、あの時の…」という印象があった上に、「淳佳精選17首」は、17曲もの名曲ばかりの新曲が入ったアルバムとして捉えられたのがヒットにつながったのだと思います。
大陸ではシンガポール版、台湾版ともに出回ったようで (ほとんどは海賊版でしょうが)、ラジオ局の人気投票でも上位に上るようになります。
とにもかくにも、これでジョイの名は北京語圏で知れ渡ることになり、更に日本の曲を多くカバーしていたこともあって、ジョイの名が日本にも漏れ聞こえてくることになり、やがて私も知ることになります。
しかしベストアルバムがこれほど話題になった人も珍しいでしょう。
 ● アルバム「等一個晴天」発売のシンガポールのCM
 ●「戀之憩」MV(新曲)
 ●「等一個晴天」MV … 一青窈「かざぐるま」のカバー(新曲)
 ●「永遠的愚人」MV(新曲)
 ●「陪我看日出」MV … 夏川りみ「涙そうそう」のカバー
 ●「有一天我會」MV

等一個晴天22007年7月、大陸で「淳佳精選17首」が「等一個晴天」のタイトルで正式に大陸版として出されます。台湾版と曲目が少し違っており、新曲としてフレンチポップのカバー「依戀 (→MVへ)」が収められています。この「依戀」はこの後の新譜にも収められることになります。この曲のMVは台湾の監督によって大陸で撮影されていますが、この中でジョイはあのときの視力測定師を演じています。
ちなみに「等一個晴天」と「淳佳精選17首」は別のアルバムとして書かれてあるところがありますが、大陸版も含め、私は同じアルバムのバージョン違いとして捉えております。
慶幸擁有蔡淳佳s12月、アルバム「慶幸擁有蔡淳佳」を発表。更に魅力を増した心洗われる歌声には、もはや何も言葉を付け加える必要はありません。この録音は台北のスタジオで行われています。活動の拠点をまた台湾へ移したようです。
実力と運。そして本人のその時の判断力によってまねかれた成功ではないでしょうか。

この続きは蔡淳佳最初の記事へ。

- 劇終 -  



今回ジョイの経歴を調べていて確信したことは、北京語圏では台湾でヒットを飛ばすことが成功の鍵になるということです。台湾でヒットすれば北京語圏全体に広がります。ただ、大陸のレコード会社はプライドのせいか、台湾へ売り込みに行ったりはしません。台湾やシンガポールのプロデューサーが大陸で歌手を見いだして台湾で売り込むという構図です。大陸のアイドル金莎 (ジン・シャー) などがそうです。また広東語圏では当然香港が中心でしょう。香港でヒットすれば大陸へも流れます。しかし、香港と台湾は言葉の壁が大きいのか、なかなかヒット曲の行き来がないようです。

たまたま今回はジョイの最初の記事に簡単な経歴を書こうと調べているうちに、そのドラマチックな人生が見えてきて途中でやめられなくなったのですが、当然どの歌手にも人生のドラマがあるのだと思います。また機会があれば、別の人の物語も書いてみたくなりました。
実は新譜の発売の頃からこの経歴を調べ始めていました。こういう経歴を知ってからジョイの歌を聴くと、とても心に染みてくるものがあります。
このジョイの経歴はほかのジョイファンの人の参考になれば幸いです。

台湾中央放送局「ミュージックステーション」- 蔡淳佳(日本語)
「慶幸擁有蔡淳佳」公式ブログ
蔡淳佳 公式サイト

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ジョイの日の出

JOI-062004年、ジョイにとって長い受難の時期が過ぎようとしていました。逆に言えばジョイの人生の一大転機が訪れようとしていたのです。
何もしてくれなかった海蝶音樂集團との3年間の契約が切れてすぐ、歌への夢を捨てられないジョイはシンガポール Music Street Records という会社と契約します。
ジョイはこの時かなり慎重になっていたはずで、就職活動のように1stアルバムを持ってレコード会社を何軒か回ったと思われます。そしてジョイは自分の考えと一致する会社を選びました。これがジョイにとって「人生の大正解」となります。

日出9月、ジョイの再出発にふさわしいタイトル名となる「日出」というアルバムがその会社から発表されます。その中で「涙そうそう」のカバー「陪我看日出 (私と日の出を見に行こう)」を歌うことになります。ジョイは夏川りみの原曲を聞いてとてもプレッシャーを感じたそうです。レコード会社もこの名曲には慎重で、この改編詞を多くの作詞家に30以上も書かせました。そして最終的に採用されたのが1回目に出てきたあの梁文福 (リャン・ウェンフー) のものでした。
そしてフタを開けてみると、これがシンガポールで予想以上の大ヒットをします。それもあらゆる世代に受けました。ジョイはあっという間に明星への階段を駆け登ることになったのです。
 ●「陪我看日出」MV … 発表当時のシンガポール版 (文字が繁体字なので後に台湾向けにカラオケ仕様にされたとものと思われます)
ちなみにこのアルバムに入っている「突發奇想」はジョイの兄、蔡立章 (ツァイ・リーチャン) が作曲しています。

2005年、ジョイはその歌声や誠実なキャラでシンガポール国民から高い好感度を得るようになっていました。その後チャリティー活動やキャンペーンなどの多くのイメージキャラに選ばれます。(それは2008年現在も続いています)
有一天我會この年8月、3枚目のアルバム「有一天我會」を発表します。「陪我看日出」のヒットを見てか、この中でJ-POPから2曲がカバーされます。
 ●「星星眼睛」MV … ゆず「星がきれい」
 ●「未知的以後」MV … 夏川りみ「愛よ愛よ (かなよかなよ)」
このアルバムには14曲中、シンガポールの国のキャンペーンやドラマのテーマ曲が6曲も入っていて、「テレビ主題歌の女王」とまで言われ、この時ジョイがシンガポールでいかに人気があったかが伺えます。
 ●「讓我擦掉你的淚」MV … シンガポールドラマ主題歌

とは言え、まだこの時点ではシンガポールの中の人気であって、中華圏という大きなワクの中ではジョイの名はほとんど響いていませんでした。
ところが運命の女神が微笑み出すと次から次へとチャンスが巡ってくるようです。
この年の12月、台湾のピアノの貴公子陳冠宇 (エリック・チェン) との共演で、2つの韓国ドラマ「ごめん、愛してる」「夏の香り」の中国語版でそれらの主題歌のカバーをすることになります。その1曲が中島美嘉の「雪の華」のカバーのカバー「對不起、我愛你 (ごめん、愛してる)」です。これらは陳冠宇が所属するEMI台湾からシングルで出ることになります。
そしてこの2つのドラマが台湾でヒットします。
 ●「對不起、我愛你」MV … 中島美嘉「雪の華」のカバー
 ●「左右為難」MV … 韓国ドラマ「夏の香り」中国語版主題歌

…次回「最終回」へつづく

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受難の時代

JOI-052001年、この年は世界的な不景気が始まった時期で、更に9.11がそれに拍車をかけます。このころの中華圏の音楽業界も当然のごとく不景気の嵐でした。
そんな中でジョイはソニーミュージック台湾から突然解雇通知を受けます。いわゆるリストラです。と言っても退職金のようなものは全く出なかったそうです。
行くあてのないジョイは傷心のまま1人シンガポールへ戻るしかありませんでした。そしてすでに契約が切れていた海蝶音樂集團を頼って2003年いっぱいまでの契約を取り付けます。しかし、…その契約期間内にアルバムは出ていません。
そんな不景気の中では、これから売り出そうという新人との契約など曖昧なものだったろうと想像します。
契約はしたものの、いつまで待っても会社はなにもしてくれません。ジョイは、音楽では食べていけないという現実に直面します。
ここで再びかなりの決断があったようです。ジョイは大学で学んだ視力測定師の技術を生かして病院で働くことにしたのです。タイムカードを押して働く日々が始まります。職場は音楽の話題など出るところではなかったそうです。
こうしてジョイは歌の世界から姿を消すことになりました。歌をあきらめたようにも見えます。しかし、決してそんなことはありませんでした。

…今日はここまで。次回につづく。

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JOI-01蔡淳佳 (ツァイ・チュンジア)、通称ジョイ・ツァイ。(シンガポールではジョイ・チュアらしい)
台湾で活躍するシンガポールの歌手ジョイの経歴については日本ではあまり見かけません。簡単なものはいくつか見かけるのですが、それを統合してもどうしても長い空白の部分があるのです。特にディスコグラフィには謎めいた部分がありました。日本語Wikipediaには、最近の台湾の新人歌手でも誰かが投稿しているのに、彼女のことは中文版Wikipediaにしかありません。その中文版をがんばって翻訳しながら、それをベースにいろいろ調べてみると中華圏のネット上の至る所に情報が散らばっていていました。この経歴はWikipediaよりかなり中身が濃くになっています。多少推測も入っておりますが、決してフィクションではありません。ちなみに私は今回これを調べるまでジョイをずっと台湾の歌手だと思っておりました。


その始まり

シンガポールの幸せな家庭で育ったジョイは兄と弟との3人兄弟。父は銀行員で、母は専業主婦でした。両親は子供たちに独立心を育てる教育をしたようです。子供の頃から歌うことが好きだったジョイは、高校生になると様々な歌のコンテストに挑戦します。そして歌がうまかった兄と一緒にシンガポールで有名な音楽レストラン「木船民歌餐庁」というところでよく歌っていました。この店からは多くの歌手が育ったそうです。
ジョイは将来については、父親と同じ銀行員にあこがれていたそうです。しかし、自分が数字に弱いことを自覚していました。ある日高校からシンガポール理工学院へ進学のための見学に行きます。そこの視力測定学部というところで見た授業に魅力を感じ、その道へ進むことを考え始めます。しかし、歌手になりたいという気持ちもどこかにあったと思われます。

1996年、ジョイ18歳。シンガポールのレコード会社「海蝶音樂集團」主催の「歌手の育成訓練」にジョイは参加します。いつものコンテスト荒らしのつもりだったのかも知れません。しかしその最終段階の公開オーディションで、ジョイは2000人の中から選ばれ、デビューの栄誉を勝ち取ってしまいます。彼女を最も推薦したのは後にシンガポールの大プロデューサーとなる許環良(スー・ホァンリャン)です。まさか2000人の中から自分が選ばれるとは思っていなかったジョイは、大学進学かデビューか悩みます。その時、折りしも母親が亡くなります。ジョイは悲しみの中で人生の決断に迫られることになります。結局ジョイは母親が勧めていた進学を決意し、4年後に大学を出てからのデビューを許環良と約束します。
ジョイが進学したのは、シンガポール理工学院視力測定学部でした。
(ちなみに許環良が育てた歌手は、阿杜(ア・ドゥ)、林俊傑(JJ)、金莎(ジン・シャー) など)

1998年、シンガポールの国慶節のパレードの曲の1つとして作曲された「細水長流」を、ジョイは別の新人と3人で合唱します。この曲を作曲したシンガポールの大物アーティスト梁文福 (リャン・ウェンフー)は、後にジョイの成功の鍵になるいくつかの曲を書くことになります。

1999年、ジョイを含めて前述の音楽レストランで歌っていた歌手5人によるコンピレーションアルバム「Re Plugged (新音楽人記本)」がEMIよりローカルリリースされます。この中でジョイは2曲歌っていて、1つは89年から台湾で活躍している超大物歌手張信哲 (ジェフ・チャン) のカバー「愛如潮水」。これはその後の1stアルバムに収められることになります。もう1曲の「看見」は2ndアルバムで歌われることになりますが、このときこの「看見」がシンガポールで少しヒットしたという記述も見られます。ちなみに5人の中の1人にジョイの兄、蔡立章 (ツァイ・リーチャン) も含まれています。この人はシンガポールで作曲家として活躍することになります。

ジョイのデビュー

JOI-042000年、22歳のジョイは大学を卒業し、いよいよ約束のデビューの時です。希望と不安を胸にジョイは海を渡って台湾へ行きます。海蝶音樂集團のバックアップでソニーミュージック台湾と契約し、11月、1stアルバム「JOI」が出ることになります。ジョイのメジャーデビューです。
海蝶音樂集團はこのアルバムに「製作」としてクレジットされていて、このCDには権利を持っていますが、ジョイ個人との契約はこの年のうちに切れます。
このアルバムは全体的にアコースティックで、ジョイの歌声は「さわやか」とか「すがすがしい」という言葉しか見つからないほどで、とても心地いいアルバムです。更に言えば、とてもピュアな歌声の中にすでに大人を感じさせる深い部分も感じます。
 ●「愛如潮水」MV -- 張信哲 (ジェフ・チャン) のカバー
 ●「有心人,有情人」MV
 ● iTunesストアUSA試聴

なぜジョイがシンガポールから遠い台湾へ来ることになったかというと、北京語ポップスでは台北が総本山のなのです。台湾でヒットを出せば北京語圏全体に広がる可能性があるのです。日本で言うと地方から東京へ出て行くようなことでしょう。(北京語圏=大陸、台湾、シンガポール)
このアルバムはヒットとは言えないものの、張信哲 (ジェフ・チャン) のカバー曲「愛如潮水」が話題になったこともあり、台湾で少し注目されたようで、その「心洗われる歌声」は台湾の人たちの印象には残ったようです。それは6年後に影響が表れます。
ジョイにとっての新しい土地台湾では、微妙な言葉の違いやカルチャーギャップに最初はとまどったようですが、しだいに慣れていきます。
しかしこの後、歌手ジョイにとって最もつらい時代を迎えることになるとは、ジョイには知るよしもありませんでした。

     …今日はここまで。次回につづく。
      かなり長くなるので数回に分けます。
      2008年2月4日更新


余談:1stアルバム「JOI」は、ブックオフの中古CDで250円で買いました^^;。すいません。

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