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タグ : 「上海での日々」の記事

更新が滞っておりますが、飽きたわけではありません。
前にこのブログの不具合があったときに仕事も忙しくなり、怠け癖がついてしまいました。
人のせいにしていてはいけません。
紹介したい歌手がたまっておりますし、既出の歌手のニューアルバム紹介もほったらかしになっております。
以前より多少更新頻度は下がるかも知れませんが、頑張っていろんな歌手を紹介していきますので、よろしくお願いします。

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久々の更新になってしまいましたが、前回からの想い出話の続きです。

素晴らしい通訳

CGプロダクションの経営者Y氏は、新会社で我々の仕事のためだけに、20人ほどのCGスタッフを中国中から雇い入れました。ほとんど20代の若いスタッフばかりで、その中にはメジャーの香港映画に関わったスタッフも6人いました。20人のうち女の子が5人だったかな。それにその人数分以上の高速PCが導入され、かなり広いワンフロアがやはり我々の仕事のためだけに設けられ、その端に私専用の部屋が設けられました。私はまるで重役になったような気分でした。
Y氏の会社では編集も請け負っていたので、ベテランの編集マンCさんと、通訳も兼ねた日本語が少し出来る事務の女の子も雇われました。
事務の女の子は、私はユキちゃんと呼んでいて、彼女の日本語の発音はとてもきれいなのですが、通訳としては本人もかなり心もとなかったようで、彼女の彼氏(日本人)のその友達である日本人のS君が通訳補助でやってきました。S君はアルバイトです。
S君は上海の大学へ通う日本人留学生ですが、これも通訳としてはかなり心もとないところがありました。
しかし、このS君とユキちゃんのコンビが、互いに助け合いながら私を助けてくれることになります。

CGスタッフは更に増え、20人を超えましたが、どうしても彼らと私とのあいだに壁がありました。
一人一人説明して仕事の指示を出しても、「わかりました」と言うだけで、的を外したものしか上がってきません。「わからないことがあれば質問してくれ」と言っても、何も質問がありません。私は日本でやっているように彼らと気さくに話し合いながら、彼らの考えも聞きながら仕事を進めたかったのです。
S君はいつも大学が終わって午後からの出勤でした。編集マンCさんは30代前半で知識人で、かなり私とウマが合ってすぐに仲良くなれました。それで昼飯はいつもユキちゃんと編集マンとの3人で行っていました。

ある日早めに昼飯から戻ると、CGスタッフの1人がすでに仕事を始めていました。
なんとなくその隣に座って、軽く仕事のアドバイスをしながら「君はどこから来たの?」とか聞いて世間話をしてみました。
そこへS君がいつもより早めにやって来て通訳を手伝ってくれました。
やがて食事から戻ったスタッフが1人2人と我々の周りを囲み始め、私を中心に輪になって話に加わってきました。
彼らも日本人や日本に興味があるようで、いろんな質問をしてきました。
「私たちのような仕事をしている人を日本ではなんて言うの?」
「CGクリエーターだよ」
と、初めは仕事に関わるような質問ばかりでしたが、
「日本の女はどうしてミニスカートばかりはいてるんだ?」
「おい、俺にそんなこと聞いてもわかんねえよ。高校の制服にミニスカートが多いからじゃないのか。でもそんなにみんなはいてないぞ」
いつしか談笑になっていきました。
スタッフの中のちょっと生意気そうな1人が調子に乗ってとんでもない質問をしてきました。
「日本人はうんこを食うと聞いてるけど本当か?」
通訳のS君も言いづらそうに「なんか、こんなこと聞いてきてますが」と言いながら通訳。
それは昔からの日本人を悪く言う荒唐無稽な話として伝わった話でしょう。彼らもそんなことはウソだとわかっていても、ここに日本人がいるのだから1度聞いてみようというノリだったようです。
ほかのみんなは「日本人にそんなこと聞いていいのか?」と思ったようで、一瞬静まり返りました。
「食うか! そんなもん!」
と、私が笑いながら大声で言うと、通訳を介さずともそのリアクションでわかったようで、緊張が解きほぐれたようにみんなはドっと笑いました。遅れてS君が通訳。
すかさずユキちゃんが、「もう! みんな◯◯さんに変なこと聞いちゃダメ!」と言っているのがこれも通訳される前に私にもわかりました。
その一件がきっかけで、彼らと私とのあいだの壁が消えてなくなりました。
彼らにしても、昔からのたくさんの日本人を悪く言う噂などで、日本人に対して恐れがあったのかも知れません。
「日本人は腹黒い」「ずる賢い」など。
しかし私もそうですが、習慣や国民性の違いなどはあっても、みんな同じ人間だということに彼らも気付いたわけです。
その日を堺に、私は彼らと冗談が言い合えるようになり、仕事の質問攻めに遭うことになります。
こちらが要求したこと以上の作業をし始めて、「これは高予算の映画ではなくてテレビの仕事なんだから。こんな細かいことしてちゃ間に合わないよ」と言い聞かせるほどの状態にまでなりました。
日本のいろんな作品を見せたこともあったようで、日本に負けるかという気合いもかなり出てきたようです。それは日本がハリウッドに負けるかという感覚に似ていました。
とにかく彼らは私を信頼してくれていることが伝わるようになりました。

それらのことでは、S君とユキちゃんの通訳がとても私に貢献してくれました。
それまで私に着いてくれた中国人通訳は、どうしても私とのあいだに壁を作っていましたが、この2人は違い、友人と言ってもいいほど仲良くなれました。
確かに翻訳には2人とも心もとないところはありましたが、通じなかったときなど「じゃあ、別の言い方してみようか」と、彼らに相談できました。この2人との出会いは大きかったです。

話は戻りますが、その「うんこ」の話があった夜に、編集マン、S君、ユキちゃんらと4人で食事に行き、そのときその「日本に対しての昔からの悪い噂」のことを編集マンに聞くと、彼は申し訳なさそうに「そうなんです。中国には日本のくだらない悪い噂がたくさんあります」と言って、そのひとつを聞かせてくれました。
ここでその内容を書くと怒り出す日本人がたくさんいるような話です。しかしあまりのくだらない話に一緒に笑いました。
編集マンは私を友人だと思ったから話してくれたのです。

中国人は日本人のように簡単に人を信用したりしません。ところが、一旦信用するとものすごくその人を大事にしますし、信頼します。何かのきっかけがあれば贈り物をくれたり、こっちが引いてしまうほど親切にされます。
それは長い歴史が作り上げた国民性なのでしょう。自分の家族と友人はとても大事にしますが、それ以外の他人は極端に言うと「どうなろうと知ったことではない」というぐらい大事度の落差があります。と言っても食事で相席になった人に話しかける気さくさや陽気さも持ち合わせています。
その彼らの習慣や国民性を理解できると、そのベースにあるのは同じ人間ということです。
国家が国際的に批判されるようなことをやっても、国家と国民は別物です。国の妙な政策の中で、国民はそれに対処してなんとか生き抜いているわけです。我々の国も似たようなものではないでしょうか。

プロジェクト頓挫

さて、私の仕事がスムーズに動き出した頃、撮影現場も、とてもスムーズに動き出していました。日本スタッフと中国スタッフが互いに専門用語を覚え合って、とても仲良くやっていました。
しかしそれは1年間向こうへ行っていた間の最後の3ヶ月の話です。
我々を雇っていた日本のプロダクションの資金が尽きたのです。
相次ぐトラブルで1年で52話作るはずが、たった3話しかできていない状況で莫大な無駄金を使い、予定していたスポンサーも降りてしまったのです。
「上海でのビジネス」というものを熟知した人間がスタッフ内に1人もいなかったのも原因の一つだと思います。
上海では仕事が順調に動いていても、明日何が起こるかわからないところです。

2007年4月末、日本はゴールデンウィークに入り、中国は5月1日から労働節で1週間休みになるため、我々は一時帰国することになりました。
しかし、再び上海へ戻ることはなく、このプロジェクトは中断となりました。
事実上頓挫です。
私はみんなと「じゃあね!」と別れたきりです。彼らも日本語で「じゃあね!」と言っていました。
みんなとちゃんとお別れができなかったのが心残りです。

結局、私も含めて日本のスタッフには未だに一部のギャラが支払われておらず、それどころか中国側のCGプロダクションや撮影所にもお金が支払われていないままです。
「日本人は腹黒い」「ずる賢い」をやってしまったように思え、私も被害者ではあるものの上海のみんなに日本側の人間としてとても申し訳ない気持ちになりました。

小春日和のカレーしかし、それから1年近くたった今年の2月に、編集マンからS君の翻訳を通してメールが来ました。
「あなたのことが懐かしい。当時お世話になったことに感謝している。再びお会いできることを待ち望んでいる」という内容です。それは言葉が出ないほど嬉しいメールでした。
私は申し訳ない気持ちを書いてS君にメールを送りました。
それの返信は、「誰も日本を恨んではいません。あれはそちらの上の人間がやったことなのでしかたありません」と言うことでした。
その言葉で私にはひとつ区切りがついたような感じでした。
しかし、編集マンは会社を離れ、雇われていた20人以上のCGスタッフは全員解雇になったようです。編集マン以外は一生会う機会はないでしょう。

上海では様々なことを学びました。結局仕事は形にはなりませんでしたが、私はC-POPにハマって帰って来ました。

ちょっとオチが付いたところで、長文読んでいただいてありがとうございました。
次回から普通のC-POPの記事を書きます。

※写真は左からユキちゃん、編集マンCさん、監督。昨年の4月19日、小春日和の中、昼食で一緒にカレーを食べました。




「上海での日々 II」へ

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タグ : 上海上海での日々

NHK土曜ドラマ「上海タイフーン」、終わってしまいました。
なかなか面白かったです。
後半はパタパタと都合よく話が進んで、夢のような展開で「めでたし」となりましたが、細かい説明が省略され過ぎていて、脚本家としてはもっと見せたい部分はあったと思います。もう1話分ほど尺が欲しかったところでしょう。主人公美鈴が上海コレクションの現場にいられなかったのは、尺を縮めるための苦肉の策だったようにも見えます。テレビというのはそのあたりがむずかしいところで、決められた尺に納めなければいけないわけです。また、1話分として書かれた脚本を、一秒も狂わずに放送ワクに納めるというのも編集の上で至難の業です。
中身はとても濃かったのですが、前半に登場した花屋の店員2人はその後どうなったのだろうとか、6話にしては中身を詰め過ぎたようにも思えます。
しかし、日本と中国の異文化交流を描いたドラマとしては、後々まで残る作品になったのではないでしょうか。これから中国でビジネスをするなら、とりあえず参考までに見ておきなさいという感じになりましたし、身近な異文化を知る上でもいいドラマになったと思います。
日本のジェリー・ゴールドスミスと呼ばれる大谷幸の音楽も素晴らしかったです。サントラ盤欲しいです。
けっこう評判も良いようで、「2」を望む声も上がりそうな気配ですが、ラストで2011年のシーンがありましたから、続きを作るのがむずかしそうです。
それから見た人はみなさん忘れているでしょうが、この話の一番冒頭で2011年に琳ちゃんが日本から里帰りするシーンがありました。あれを繰り返してくれるようなシーンがなかったのがちょっと残念です。(最初の脚本にはあったのかも知れません)
ちなみに琳ちゃんという役をやった林丹丹という女の子は日本語がペラペラだそうで、片言の日本語を話すのがむずかしかったそうです。何潤東 (ピーター・ホー) は最後までかっこよかったですね。


さて、私の上海での日々ですが…

前回言葉を濁しましたが、私が参加した上海でのプロジェクトは、上海でテレビドラマを作る仕事です。内容は全て中国をベースにした話で、日本の要素は全く取り入れず、役者も全て中国人俳優を使い、技術的な部分も日本と中国の技術を融合して制作しようというものです。それはまず中国全土で放送して、次に日本で放送し、やがては世界シェアを狙おうというものでした。
私も含めて30人近い日本人スタッフたちは、その日本の小さなプロダクションの夢に乗っかって、情熱を持って上海へ乗り込んだのです。番組は30分番組で毎週1話放送で、1年分で52話作る予定でした。
しかし、その考えが極めて甘っちょろい考えであることにプロダクションよりもスタッフたちの方が先に気付き始めるのです。


上海での日々、中盤

上海で最悪の日々を送っていた私ですが、しばらくいるとその状況に馴染んではきます。物を買うにもいちいち円に換算しなくなり、人民元で考えるようになります。それに同僚や中国スタッフとの食べ歩き飲み歩きの楽しみも出てきます。
しかし相変わらず上海の街は騒がしく、人は道を譲ってくれず、地下鉄ではドアが開いたとたん乗り込むほうが先に押し込んできて列車が駅に入るたびに阿鼻叫喚が起こっていました。
そして仕事のほうも、私が担当したCG部門だけでなく、プロジェクト全体が停滞して予定は遅れに遅れていました。
中国ではドラマの場合は最低半年分制作して、当局の検閲にかけられ、問題がなければ放送されます。その検閲に通るように放送局もあれこれ内容に突っ込みを入れてきます。ほとんどお役所仕事的な対応でしたが。
やがて、その遅れに遅れた上に私が詰めていたCGプロダクションでとんでもないことが起こります。

そのCGプロには2人の共同経営者がいたのですが、その2人が仲たがいを起こして会社が分裂することになったのです。
それは我々が知る以前からその確執はあったようで、社員の中にもそれぞれにつく派閥があったようです。日本側としてはとてもやっかいな状態ではありますが、どちらかを選ばなくてはいけません。
そして現地に詰めていたプロデューサーと現場に詰めていた私の意見で、日本側はその片方の経営者Y氏の方を選びました。
Y氏はマカオから来た人で、当然母国語の広東語をしゃべれ、北京語はもちろん英語もかなり堪能な人でしたし、話していてあまり中国人らしからぬ国際人的な人でした。それに普段からとてもおしゃれな人で、会社のおしゃれな内装もその人によるものでした。

Y氏は優秀なスタッフだけを引き抜いて新しい会社を起ち上げました。そのスタッフのほとんどは、台湾から夢を求めて上海へやって来た連中で、みんな片言の日本語を話す親日家で、私ともとても仲よくなった連中です。
しかし新会社は1ヶ月という予定よりも遥かに遅れて、分裂から3ヶ月目に動き出しました。日本側からの「まだかまだか」の声にY氏は苦しんだようですが、上海では予定通り物事が進むというのはほとんどあり得ないことに、私も含めて日本側は徐々に気付き始めます。逆にその遅れはY氏自身もいらだっていたことで、更にY氏は日本人の時間に対しての極端なうるささも学んだようです。
私は上海になじんできたところで、日本人の時間感覚は異状に思えてきました。
新しい会社は前の会社よりも広く、大きなビルの2フロアを使った日本のCGプロではあり得ないような広大な空間でした。来客用の広いラウンジがあり、ちゃんと厨房があってコーヒーなど好きなものを飲めるようになっていて、ビリヤード台が置かれたちょっとしたプールバーのような空間もありました。来客が広いフロア内で迷わないようにエリアごとに壁をパステル調の色で塗り分けていました。照明なども凝っていてそれはとてもおしゃれな空間で、全てY氏によるものでした。更には、私専用の部屋まで設けてくれました。
とは言え、私はまだその仕事が進まない状況に日本人スタッフと一緒に毎日ぼやいていました。

すみません。また長くなったので、前回予告した私が変わる日は次回の話になります。

上海での日々[3]へ


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タグ : 上海上海での日々

NHK土曜ドラマ「上海タイフーン」が現在放送されていますが、これが上海を体験した人間にはなかなか面白い内容です。
全6回シリーズで、先週の土曜日に4回目を見たところですが、最初の3回目までは、日本人の感覚で見た中国のとんでもなさと、そこで起こる仕事上のトラブルがメインになっていて、多少の誇張はあるものの、うまくそれが表現されていました。思わず「わかるわかる」と言いたくなる感じです。
私の上海での日々を思い出します。

「上海タイフーン」の今までの粗筋を書いておきます。
主人公美鈴(木村多江)はキャリアウーマンで、上海へ出張させられるのですが、どこか中国を見下していて、仕事で大失敗をし会社を辞めることになります。そして、それがきっかけで大嫌いになった上海へのリベンジで上海で起業しようと甘い考えで乗り込みます。しかし何をやってもうまくいかず、「上海なんて大嫌い」と何度も言います。その美鈴に対して上海人や上海で頑張っている日本人が言います。「悪いのは上海なのか? 上海人なのか?」。やがて美鈴は自分自身の考え方の問題だと気付き始めます。
第3回目には、状況が見えてきた美鈴は「なんだか上海がステキに見える」と言います。そこへ10年前に上海で失踪した自分の父親の話が絡んできて、また新たな展開を迎え、第4回は怒濤の展開で、メインの登場人物がそれぞれの立場で絶望の縁に立たされますが、美鈴に新たな希望が見えたところで「つづく」になりました。
共演の若手投資家を演じるのは日本映画にも何本か出ている台湾の何潤東 (ピーター・ホー) 。上海にどっぷり溶け込んだ日本人麻里を演じるのはMEGUMIで、役にぴったりハマっていていい味を出しています。

 ●「上海タイフーン」公式ページ


上海での日々、最初の頃…

私は2006年の3月中頃から、2007年の4月末まで、仕事で上海と東京を行き来していました。それは突然降って沸いたような仕事で、それまで中国など全く興味のなかった私は、有無を言わさず連れて行かれた感じです。
shsnghai-my-room私を雇ったプロダクションから比較的高級なマンションを借りてもらって、上海中心部のやや外れに合計半年以上住んでいたと思います。上海市内で一度引っ越しもさせてもらいました。写真を見るといいところに住んでいたなと思われるかも知れませんが、一時的に上海へやって来るスタッフのためのゲストルームにもなりました。
しかしそんなことよりも、多くの日本人スタッフとやって来たにもかかわらず、私は仕事上単独行動が多く、私だけほかのスタッフとかなり離れたところに住んでいました。(高速バスで40分の距離) 更に、プロダクション側はあまり細かなめんどうは見てくれなかったので、言葉が分からず全く中国という社会を知らない上に興味もなかった私は、最初の頃は食うものにも困るサバイバル生活でした。
私はCGのディレクターを担当していて、上海のCGプロダクションに常駐していたのですが、その仕事でもそのままドラマになるぐらいトラブル続きの最悪の毎日でした。仕事場にはアルバイトの中国人の通訳がいましたが、日本の業界専門用語と、中国での専門用語が分からない通訳は、本人が戸惑うだけで、ほとんど役に立たず、何人も自信をなくして辞めていきました。逆に英語による専門用語が直接伝わったほどです。
あらゆることで「なんだこの国は!」と思うことばかりで、本当に「日本へ帰りた~い」の毎日でした。

しかし、それが変わるきっかけがやってきます。

                           …つづく


※消えた画像は全部アップし直して、完全復旧しました!

上海での日々[2]へ


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